贅沢
障子に朝日が射して、そこで見た風景に、確かに美意識を感じたんです。
日本が昔から、少しづつ積み重ねてきた意識のことです。
真っ白い和紙の空間は、光と共に遊ぶものだということを、僕はいつの間にか知っていました。
そこに落ちる葉っぱの陰が、モノの重みを気付かせてくれることも、僕は以前から知っていたように思います。
夢に思いを走らせ、同時に現実に生きることを意識させる。
それはどこか人の儚いサガを教えてくれるし、儚い人の連鎖が、確かに僕や僕の父(母)、そしてこれから僕の息子(娘)に無限に繋がれていくことも教えてくれます。
僕は、障子に色んな感慨を馳せながら、その一部をカメラで切りとることに、ものすごい「贅沢」を覚えたのです。
日本の風や水や土が、日本人に与えてきたもの。
それを彼らが生きるために懸命に汲み取って、生きる知恵に昇華してきた、美しい真心。
神話を、ぼくは更に細かく、レンズで切り取りました。贅沢に。
障子が囁くこの一連の美意識は、日本人の財産だし、僕は大切にしていきたいです。
ただ、財産は有限である、ということを忘れないように。
壁の時
壁が生まれて、何度も雨が降って、屋根の時間がつたって来て、屋根の淡い紅が壁に染み込んで、壁は一人の人生を生きているのではない。と感じます。
時間の染み込んだ風景は、それ自体生き物のように感じます。
壁も歳をとる。それで、お爺ちゃんやお婆ちゃんののような、大きな穏やかさを手に入れます。
壁の前に立ちます。壁は目の前に僕を優しくも見守るし、同時に遠くを眺めてもいます。
時間の流れを、雄大な目で見つめているのでしょうか。僕が生まれる前から、僕が死んだ後まで。壁が壁であり続ける限り、時の流れは容赦なく壁に流れてきます。
それは、多分侘び寂びというものでしょう。
もし、今までそしてこれから誰かがこの壁に何かしらの思いを預けた時、同時に僕がこの壁に対して思いを込めた時、壁を通して繋がる物語もきっとあると思います。
それが伝承となり、神話となることもあるんです。
例えその物語が個人的な心のうちに秘められるものだとしても、それはかけがえのない、素晴らしい価値になるでしょう。
誰かが誰かに去られて壁に淋しさを託し、僕は誰かに優しくされたりしたこと壁に託します。
壁は淋しさも楽しさも、ゆっくり吸い込んで、自然の流れに還してくれます。
そういう時に立ち会える幸福は、多分自分の人生を認めることにも繋がっていくものです。
僕はそういうものを作りたい。心から。
一人で生きるより。たくさんで生きるより。
たくさんの街より 一つの街
一つの街より たくさんの花咲く、たくさんの街
今日は三上寛さんのLIVEに行ってきました。
寛さんは60年代から活躍する偉大なフォーク・ミュージシャンですが(寺山修司が好きな方はご存知でしょうか)、氏が60歳を迎える今、最早フォークとは形容しがたい、それこそ爆撃でも起きているかのような壮絶な音塊を、聴く者に容赦無くぶつけてきます。(音が僕に触れたとき、確かに音を立ててぶつかっているように感じたんです)
寛さんがエレクトリック・ギターの細波(時に大津波)を放つと、トシさん(元・頭脳警察のドラマー)が絶妙の間合いでドラムを鳴らし、波を止めたり、巨大にしたりします。まるで高度な俳句でも読み合っているかのような、緊張感のある間合いで、滑らかに音の像を紡いでいきます。
ゴツン、と音が僕に当たって。でもそこには優しさとか気遣いで包まれる感じもあります。不思議なものです。
最初に記した歌詞は(正確じゃなかったらすいません)、最近寛さんがレパートリーに入れている歌の詩で、僕が好きなフレーズです。
花は人のこと、を指しているように思います。
多くで群れる人より、一輪だけ、凛と立ち尽くす人の方が美しいんだ。と、云っているようにも聞こえるし、人は一人じゃ生きられない、周りがあって、育てられて、それで美しくなるのが人なんだ。とも云っているようにも聞こえます。
そして寛さんはその両方の花を、人を、愛しているように歌います。
自分がそうして生きてきたからでしょうか。
圧倒的な孤独と、思いやりと。
僕には、到底真似できそうにありません。当然だけど。
寛さんに甘えにLIVEにいってる人もいると思います。僕にもそういう部分があるから。
でも、何より、自分が生きる道を、自分を信じて生きて、まず間違いないんだ。そういうことを教わっているような気もします。
生きる勇気をもらってるんですね、きっと。
写真の少年を見ると、これから彼が成長していく度に、きりりと立つ一輪になっていくのか、或いはたくさんの花に溶け込むんでいくのか・・・そんなことを考えてしまいます。
たくさんの花より 一輪の花
一輪の花より たくさんの花
たくさんの街より 一つの街
一つの街より たくさんの花咲く、たくさんの街
田中 泯
舞踊家・田中泯の独舞「透体脱落」を、世田谷パブリックシアターで見てきました。
泯さんは、映画「メゾン・ド・ヒミコ」のゲイのママ役で出てましたね。
泯さんの裸体は、老いても実に美しかったです。
圧倒的なんですね、体が。
身体に問い続け、傷め続けてきた時間と苦悩の堆積が「老い」という一つの完成を、堂々と実証します。
彼が深い呼吸をする度、肋骨と、それをくるむ皮膚のうねりが万華鏡のように見る者の視線を歪ませ、僕らの意識を日常から一気に引き剥がします。
全裸の泯さんは、自分の性器すらコントロールをしているように見えました。
光に両手をかざし、仰け反った姿勢のまま延々祈りを捧げるシーンがあったのですが、少しづつ少しづつ泯さんの性器が高揚していきます。
単に興奮しているのではない、と直感したのは、その身体現象がまるで精緻に構築された映像のように、見事に音楽と一致していたからです。
というか、完璧に冷静に操っていました。
優れた画家が絵筆でタッチを自在に操るが如く、泯さんは身体のあらゆる細部を自身の表現道具の一部として、完全に自らの意思の支配下に収めていました。
舞踊家として、それは計算された演出だったんです。
終わることのない、まるで身体のデティール同士が血液の流れをリレーしているかのような演舞に、永遠に見蕩れていたいような夢見心地でした。
最後に泯さんの言葉。
「考えることを放棄したくなる程、結論ゴールのない『空間』に私は恋をしてしまったのでした」
なんちゅう言葉や。すごい。
80年
物心着いたときから、お土産屋のお会計の席に座っている、というお婆さん。
齢90とか。
同じ座布団に、お婆さんは毎日、80年もの間腰掛けて、それで手に入れた幸せがあるといいます。
変化の目まぐるしい東京で幸せを掴めない人もいれば、こうして同じ場所に留まり、ささやかな人生をいつくしむ人もいます。
お婆さんと、お婆さんを支え続けて80年という時の染み込んだ座布団に、僕は心から敬意を払うのです。
水木しげるもよく云ってるけど、物を100年使えば、それは「妖怪」になる、って。
妖怪の本質は、人にあることを思い知らされました。
同時に妖怪の存在が、人は人を超えるような想像を持てない、という事実も示唆しています。
人が人を超える想像をする時は、それはとても危険な瞬間です。
もしそういう妖怪が現れたときは、人間の終わりを意味するのでしょうか。
僕は、愛すべき妖怪たちが出てくるような、そんな作品を残してみたいです。
この僕のチャレンジは、このお婆さんの表情と、極めて密接なんですね。