云わザル。
本来自分で口を閉じるサルのことを言うけど、このサルは苔に口を封じられています。
このサルは何か云いたいことがあったのか、或いは絶対喋ってはいけない禁断の言霊をいまだに体内に封じているのか・・・。
地蔵にはもともと人の想いを封じ込める役割があります。
偶像というものは、大概そういうものです。人の祈りが形になったものです。
人の祈りがないまま、形を作っていくの近代です。
形は更によりよい形を求めていこうとしますが、祈りという魂が込められないと、そこに人が入っていけなくなります。
僕は東京は元より、地方都市にそういう形主義の街が増えているような気がします。街自体はどんどん綺麗になっていくのに、その街には人が入り難い。この矛盾の根は深そうです。
かつての日本は、喋りすぎるサルの神さまに、他の神さまが文字通り口封じとばかり苔をはってきたりする余裕があったんです。それほど神さま同士の垣根が低かったんですね。
何より大らかだったし、隣で何かあると放っておかなかったんです。嫉妬もするし、悦びもする。
しかし今日の写真、じっと見てると本当に何か云いいたそうですね。