地蔵様 ②
しっかり根を張った顔中の苔が、この地蔵様の生きてきた時間を証明します。
人々に忘れられ、殆ど手入れのされていないこの顔は、しかし毎日ピカピカに清掃される都市の共同墓地より、ずっと美しく堂々とした気概を感じさせます。
この顔と向き合っていると、不思議と気持ちが落ち着いて、その気持ちの余裕の隙間を縫って、かつて僕が関わってきた人たちのことを僕の心に縫い付けていきます。
特に、死んだぼくのお婆ちゃん。
少年ジャンプを毎週一度も欠かさず買ってくれたお婆ちゃん。
母が仕事を辞めそうな時、じっと静かに励ましたお婆ちゃん。
兄が高校生の頃家出をしたとき、真っ先に探したお婆ちゃん。
本当に誰にも迷惑をかけずに、ひっそり死んだお婆ちゃん。
記憶は時間とともに輪郭が曖昧になっていくものだけど、この地蔵の顔をじぃーっと見てると、一つ一つの思い出がにわかに粒だってきて、既に薄墨でのばしたようになってしまっていた記憶が、はっきりと濃い黒を取り戻していきます。
淡く、墨の薫りが立ち昇ってきて、それで僕は精一杯お婆ちゃんに甘えていたこと、そしてお婆ちゃんが精一杯甘えさせてくれていたことを思い出します。僕とお婆ちゃんの関係は、ある種の完璧さを表していたように思います。
お婆ちゃんの優しさは、ほんのり甘い、墨のような薫りのするものです。
今はその墨をつかって、何かを描きたいと思います。写真だったり映像だったりするけど、それらを描く原料の墨は、こうして苔むした地蔵様の前で手を合わせることで再び補充していくのです。