地蔵様のかお
今、地蔵様を撮りためています。
ふとした瞬間に、まるで生きているかのような気配を醸すから不思議です。
地蔵様にレンズを向けるとき、僕はなるべく人と対話しているような気持ちで
接するように努めています。
地蔵様を通して、人の顔を撮りたい。同時に人の顔というものを問いたいからです。
地蔵様の顔はある表情を固定していますが、それは時を止めたというより、人のある
側面の表情の普遍を閉じ込めている感じがあります。
時は止まっているのではなく、無限の時間が横たわっているだけです。
「喜び」は喜びで変わらないものだし、「哀しみ」は哀しみで風化しないものです。
・・・これを諸行無常っていうのかな?
近くまとめて、今までの写真も合わせて写真集を作ろうと(自費で・・・)考えています。
無常な割に、情に弱い人間の写真集になったらいいな、と思っています。