初トンボ
あの羽の部分が、どうしてもカミソリを連想させて、ぐるっと勢いよく回転させて飛ばすと、自分にその刃先が刺さりそうな気がしていたから。
しかも、それで本当に自分が死ぬイメージを想像してた。
まるで大根でも切るみたいに、サクサクと僕の体を分断し、薄い血を付けたまま、気持ちよく空に飛んでいく竹トンボ。
実は、僕はその空想自体、怖いものだと思っていない。
問題は、その光景が暢気であること。
僕をバラバラにして飛んでいく竹トンボは、一向に僕に対して申し訳なさそうな気配がないし、たまたま空に吸い込まれていく通過点に僕がいたから「あたった」というぐらいで、殆ど僕の存在に気づいていない。
同時に幼い僕も、切り刻まれてバラバラになったことが悲しいわけでもなく、空に向かって一直線に飛んでいくのを「なんだか奇麗だな」とか思っていたりする。
その時、血は乾いている。
僕はダルマ落しみたいに情けない格好で、竹トンボを見送る。
空は、青い。
ただただ静かで、暢気な風がユルーく吹いている。
一つの虚無だな。と思った。
虚無は怖い。
何故ただの竹トンボが虚無を産むのか、その原因が分からないのも、怖い。
今も、竹トンボは少し怖い。
写真の男の子も、これが始めての竹トンボだったのか、顔が少し緊張している。
多分、僕も同じような顔をしていたかもしれない。
子供にとっては、世界に対する好奇心と畏怖心は同じ意味だと思う。
ただ、僕にとっても、男の子にとっても、竹トンボは初めて会う世界で、自分にどう関わってくるか分からないだけだ。
竹トンボは未知の象徴で、知れば知るほど、僕に何かを教えるかもしれないし、同時に僕を傷つけるかもしれなかった。
そういうものが、東京に来て、多くなったような気がする。
東京は刺激に満ちていて、あらゆる街角に未知の生き物がうごめいては、僕を誘惑する。
それらに僕はとても興味があって触れたいけど、同時に僕は身の危険も感じる。
東京の色んなところに、竹トンボが待っている。
でも、僕は竹トンボが少し怖くなくなった。
写真の男の子は、見事に竹トンボを飛ばした。
それが何だか、うれしい。