忘れたくないもの。
Kieth Jarrettのことを考えます。
Kieth Jarrettは白人のJazz Pianistです。
白人の彼が頭角を現したのが60年代末、Jazzが黒人のイディオムに囲まれた、ある厳しい緊張の真っ只中。
彼はJazzを理解したくてアフリカ人のように髪を豊かなアフロにし、Miles Davisのように振る舞い、ピアノを掻き毟るように演奏していました。
やがて時代はヴェトナム戦争が終わり、アメリカ帝国が権威が失墜し、黒人が自分たちを蔑んできた「アメリカ」という幻想に必死で反抗することで保ってきた、大きなアイデンティティを失います。Jazzが一つの挫折をむかえた時代です。
その時、黒人の中で戦ってきた彼はたった一人でピアノを弾き始めます。(代表作は有名なケルン・コンサート)
そして、全てをやり切って燃え尽きたかのように、慢性疲労症に陥り、ピアノを手放した日。
再び。
彼がピアノを手にしたとき、そこはかつてJazz自体に抗うようなピアノではなく、一音一音を愛しむように音を紡いでいきます。(代表作は、Melody at Nigth with You)
その時、彼が初めて受け入れた音と、見えたJazzの風景。
スティーブン・スピルバーグのことを考えます。
幾多の名作を生みながら、なおエンターテイメント性に溢れた作品を作り続ける巨匠。
多くの、それこそ24時間休む暇もなく映画を作ることで、彼が達した聖域。
AI以降、プライベート・ライアン、宇宙戦争、ミュンヘン等は明らかにそれまでの彼とは違う体温を示していて(人によっては彼が冷酷になったと云います)、しかしその変化が僕には全く奇異に映りません。
それは彼が経験と苦悩の中で、辿り着いた場所があるからだと思います。
宇宙戦争の、空から大量の洋服がひらひらと落ちてくることで、人の死を表現したシーンがあります。これはある方が鋭く指摘していた場面です。
そうか、もはやそれは一つの詩で、彼がやりたかったことだと思います。人を一人も出さずに、Yシャツだけで人間の死と孤独を描写すること。(中原中也みたい!)
そのたった1シーンのために、映画の賢人として全ての経験と、全ての知恵を使い果たします。
彼はこれが描きたかったのか!
スピルバーグにとって、映画はそういう域にまで達しているのでしょう。
そういう彼が、今見ている風景。
アレキサンド・ペトロフのことを考えます。
ペトロフは、「老人と海」という、前代未聞の全編フル油絵アニメーションを完成させた、偉大な作家です。
昨日、広島で行われた世界的なアニメーションフェスティバルを見てきました。
その上映の最後の作品がペトロフ。
その最新作「マイラブ」は出来たばかりで、今回が初の上映だということで、すごく楽しみにしていたものでした。(同時に不安も大きいものでした。)
・・・・内容はもちろん素晴らしかった!!!
けど、それ以上に、上映後壇上に上がって挨拶したときの、彼のホッした表情を僕は見落とすことが出来ませんでした。
その表情には、彼がアトリエにこもって物語と対話した孤独な日々、作品の質に関わる圧倒的な葛藤、油剤で手を荒らした時間の堆積、進まない作業からくる苛立ち、そういったものを全て抱えた上での、この上ないやさしさが宿っていました。
僕は、その表情を含めて、初めて「マイラブ」は完成したのだと思いました。
これは情緒論ではなく、作品と共に作家が成長することが如何に大事かを物語っていました。
作品の先に、家族がいること、友人がいること、生活があること、地球より大きな彼の師匠であるユーリ・ノルシュテインがいること、そして何より思いやりがあること。
そのペトロフが雲を突き抜けて、たった今、見ている風景。
Kiethもスピルバーグもペトロフも、表現の非なる存在とはいえ、最終的に見えていた風景は同じ景色と思うのです。
そして、僕はそういう景色が見えている人のことを考えます。
だから、忘れないうちにここに書いておくことにしよう。
三上寛
植田正治
水木しげる
高野文子
Eric Dolphy
ヴィクトル・エリセ
タルコフスキー
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ああ、本当にいっぱいいます。
作家じゃなくても、居酒屋Tの主人、僕の父と母、カメラマン、町工場で働く同級生・・・限界がありません。
尊敬すること。
僕が信じたいもの。
尊敬する人は皆、確信犯です。
信じてやっているから、例え観客が一人でも、全力で唄を歌い、カメラを回し、絵を描き、電卓を打ち、ネジを回します。
そういう人たちのことを、自分の目標にしながら、進んで生きたいです。
そういう人たちに関する感情の揺らぎを、日記で残していこうと思います。
最後に、一度BBSを封鎖し、最近再開したのですが、思うところがあって、やはり無期の閉鎖をすることに決めました。
そこには痛かった自分が露呈していて、その傷がまた新たな傷を呼んでいるからです。それははっきりしています。
だから、僕が「風景」の片鱗を見るまで、その時まで閉じようと決心しました。
書き込んでくれた皆さんには本当に一方的で申し訳なく思っています。
その皆さんに、心からの感謝と決別と再開を祈って、閉鎖します。
僕は元気です。悩んでます。もう少し大人になって戻ってきたいです。
どうかその日まで。
僕は作り続けます。