奥の松田

「包丁研ぎます」


改め、その看板の始めにはこう書いてありました。



「奥の松田が、包丁研ぎます」



で、確かに。手前の表札には“松田”と書いてあって、路地を挟んで奥に違う家が確かに見えました。(奥の方の家には表札は見当たらなかったけど)


そもそも、包丁を研げる松田と包丁を研げない松田が並んで家を構えているが不思議です。さらに、僕がちょっと心配したのが手前の松田と奥の松田が仲が悪いのもしれない。ということで、そこには包丁研ぎにまつわるギラギラして危うい均衡があるようにも感じました。さ、刺し合い?


ふと。


ふと思ったのが、この松田ジェミニのイマジネーションは、松田家近辺の住民に幾らかの影響力を持っているだろうということです。
ジェミニの半分、きちんと包丁を研げる職人の松田は最初から一人しか存在しないのだけれど、その周りに住む人たちが「奥の松田が、包丁研ぎます」の看板の言霊に酔ってしまって、遂には架空の「松田」ジェミニを産み出してしまっているのでは?なんて、妖怪や幽霊の起源を考えてみたりします。


言葉は、霊を生む。


これは広告にも言えることで、本質的に、広告のキャッチ・コピーというのは、霊をイメージを生むものなんじゃないかなぁと思いました。
実際「奥の松田が、包丁研ぎます」は商売用の外向き看板に書かれていたからこそ、人を惑わせ、想像を働かせるに至っているのだと思います。


キャッチ・コピーがうまくいって効果が出せたなら、それは皆の中に潜む“ゴースト”を彼等の内部から引き出せた、ということになるんでしょうね。呪文ですよ、キャッチ・コピーってね。悪魔を呼ぶみたいな。


ともあれ、奥の松田と手前の松田は完璧にオリジナルのイメージを獲得していて、その地域の中ではとりわけ特殊な想像力の領域を占有しているはずです。



「奥の松田が、包丁研ぎます」



何度聞いても、不思議なフレーズですね。