甘いタクシー
「お兄ちゃん、目の前にさ、女がいてさ、その女があまり可愛くないとしてもさ、や、タクシーに夜中に乗ってくる女って何か可愛く見えてちゃってさ、それでそういう女に誘われたら、そりゃ、誰だってやりたくなるでしょうが」
何を言い出すんだ、この運転手。面白いぞ。
「だまされたんですよ。ほんっとに。」
明け方近いと、タクシードライバーも開放的になります。朝の4時代というのは、体中の細胞同士がおしゃべりするみたいに気持ちの昂ぶる時間でもあって、そういった時間帯にもろ仕事をしているタクシードライバーというは、やはりどこか神様のように狂気じみている瞬間が少なくありません。
「やね、タクシーにしばらく乗っけててね、女がここら辺で降りるっていうから、結構な額の乗車賃になってるんだけど、そしたら“今そんなにお金がない”っていうの。女の客には多いんだよ、そういうの」
それでどうしたんですか?
「家が近くだから、家に来ればお金はあるっつうの。だから、お金とりに、行ったの」
行くんですか。
「行くんですよ」
それでどうなったんですか?
「や、家について、悪かったわねってお茶出してもらって、ちょっと待っててって云うから待ってたの。そしたらさ、お兄ちゃん、その女裸で現れて“ごめんなさい。本当にお金がないです。体で払います”っていうの!」
マジすか!?
「うん。で、折角だからやろうと思ってね、服脱いだところに、待ってましたといわんばかりに、旦那が帰ってきたのよ」
だまされましたね。
「うん、だまされたー。けへへへへ。」
↑ 何だか、とてもマブしい笑顔。
「で、オレの女房になにやってんだって脅されて、売上金あげちゃったー。けへへ。」
↑ さらにマブしいえくぼ。ブルースの誕生。ドロッとした金星が、不吉な輝きを放つ瞬間。
タクシードライバーは、だまされてそれで、悲しくなかったのだと思います。
実はそのことがとても重要で、基本的には孤独な仕事のタクシードライバーは、出遭ったあらゆるコミュニケーションが、全て物語でドラマチックなんだということ。
物語に敏感なんでしょうね、一人の時間が長いから。
日常は物語の連続で、死なない限り、きちんと発見を拾っていけば、何もない日というのはありません。
ただ、仕事や生活に慣れすぎてしまうと、日常の中で物語を定義するチカラが鈍重になるから、“なんの変哲もない”という、文字通り日々の哲学のない無感覚に陥りがちです。でもそれ、都市生活の基本ですよね。無感覚の時間を作らないと、街中で殺し合いが始まりそうですもん。バブリー☆
全てに物語を添えていくとしたら、それは神様じゃないと無理です。
ぼんやり、タクシードライバーのブルースを聴きながら、朝の渋谷の山手通りを憂鬱に走ります。
タクシードライバーはあと、とらやの羊羹は美味しい、それも午前中に買った羊羹の方が、午後に作った方の羊羹より味が「厳しくて」美味しいのだ、という情報を教えてくれました。
とらやの羊羹は何度も何度も練るから、とてもコシがあって、硬いのだそうです。
基本的に全ての和菓子は、午前中に食べられるべきだと。その主張は凛々しかったのです。
運転手さん、今度から羊羹は午前中に買いますね。
「ああ、あと東京には2万のまんじゅうがあるんだよ。」
それで僕はタクシーを降りました。どこで2万のまんじゅうが食べれるのか聞かずに。
2万のまんじゅう食べたら、東京離れようか(笑)
あと、女の子にだまされたら(爆笑)けけけ。
でも、この気持ちは。ある意味で、全く冗談ではないのです。