都にて秘密主義、次に東京へ捧げる黙祷

京都でAMUSE主催の展示があったので、土日で行ってきました。すごい熱気でしたよ。



「京都は時間が停まっているから、アーティストには居心地がいい」
なんて聞きますけど、時間が停まっている。というのは京都が穏やかな街なんだ、というのではなくて、エネルギーを持った絵描きさんが多すぎて、京都が持っている時間の総体というものを京都在住の個々の人間に割り振り切れてないから、常に時間を進められる人の順番待ち状態であり、結果として中々街の時間が進まないのだ、と思いました。



サーカスで、火の輪をくぐるライオンが、彼方此方で静止しているような街。と形容したらいいのでしょうか。それでもやっぱり京都の人は穏やかで、静止した優しいライオンが、牙を剥きながら珈琲を淹れてくれたりします。京都は美味しい珈琲が多いのです。








あと河、あれは何て河だったんだろう。たいへん素敵な河で、惚れて、昼と夜、一日に2回同じ場所に行って、2つの秘密を作りました。秘密って、云えば、何でも魔法になるから、とりあえず“秘密”って書いてみます。



秘密は人同士のものじゃなくて、本来は、
風と人。
森と人。
河と人。
雲と人。
空と人。
土と人。
山と人。
・・・の間に結ばれた、神秘主義のことであり、僕は例えば友達も巻き込んでそういう神秘を作ってみたいと、願ったりします。
そうした友達はもはや友達じゃなくなって、何ていうんだろう、絆が胸の表面の痣だったぐらいのものが、心臓を傷つけるくらい、深く蒼いものに変化します。



そうやって頑張っても、神様は降りてきません。京都の神様は、結構面倒ですねぇぇ(笑)
東京だとあっさり降りてくるのですが。こっちはインスタント神様が多いので、それは結構異常なことだと思います。








土曜の夜、泊まるところがなくてSTAFFの方にとても辛抱強く見つけてもらったホテルがあって、もう泣きそうなくらい感謝したのですが、そのホテルというのが前に付き合っていた女の子の棲んでいた家の近くで目に馴染みのある風景だったので、今度は本当に泣きました(笑)そう、笑。笑、なんです。絵も寝る前に描きました。もう、死んでもいいくらいの幸福が10秒だけ訪れて、次にはもっと楽しいことに巻き込まれたいという性欲が込み上げてきて、あとは堪忍して生きるしかありません。




多摩美の女の子。




カメラを持ったまま死んでしまった女の子がいます。彼女に、そういう一切合財の想像力を捧げて、黙祷しようと思います。