箱感覚

働く人には箱があると思いました。





バスの運転手さんが「これは曲がり切れねーだろー」みたいな交差点を軽々と、しかも適切な軌道で回り切ってみせるのは、それは運転手さん自身が自分の職場である“バス”の空間を、完全に把握しているからです。


タクシーの運転手もそう。スケールはどうであれ、自分が働くスペースというのはイメージの訓練によって、自分の想像力の中に「パーフェクトに」組み込むことが出来ると思うのです。


想像力。というのは面白いアイデアが浮かぶという種類のものじゃなくて、バスの「箱」がどれだけ動けば、どういう螺旋を描いて、その螺旋が通行人の安全を保証する領域内にきちんと収まるのかとか、まぁそういう自分の皮膚そのものがバス全体に広がる感覚で、バスを皮膚として認知する能力のことです。





箱感覚。





その感覚は中枢神経につながっていて、バス自体の調子が悪いと、運転手さんも皮膚感覚の感度も悪くなって、それはもう一つの病気だと思うのですが、そこまで箱感覚をものにすると、「職人」になるんでしょうね。きっと。



バス、だけで話を進めてしまいましたが、他にも色々な職務空間があり、その数だけ「箱」があると思います。


病院で働いていれば、達人レベルのお医者さんなんかになると、患者さんの内面の中にも自分の空間を作ることが出来るでしょうし。
逆にキャリアの長い、重い病気を抱えているベテランの患者さんになると、むしろお医者さん以上の病院感覚を身に付けていることも、十分あると思います。患者さんが、患者さんの内面に潜るのです、器用に。





或いは。


納豆工場で働いている女の子がいたら、その娘が朝食を摂るとき納豆のパックが出てきたら、反射的に彼女のメンタルの中に、工場の空間が広がっていくはずです。


食卓サイズの工場。


時としてそれがうんざりするかもしれないけど、作業の集積の結果として、身についてしまうのが“箱感覚”であり、一生身にまとっていくもう一枚の皮膚です。



箱感覚は、諸刃の剣ではないかと思います。特に写真を撮っている人には。PARCOで色んな写真集を目の当りにすると、そのどれもが自分の箱を持っていて、悲しいくらい切実にその箱の中に入っているのが、切ないです。



悲しみの後には、必ず快感の波が来るけどね。