真実ちゃん

という居酒屋に寄ろうと思いました。



「しんじつちゃん」



と、刹那、読んでしまったからです。

・・・ほんとは多分、「まみちゃん」です。でも、一瞬僕にそう読ませる不思議な店の佇まいというか、建物の裏にあって、そこは世の中の裏で、そういう場所では多分「真実」は“しんじつ”ではなく“まみ”になるんです、きっと。


でも、既にある真理のことを女の子の名前で呼んだりするのは、実際すばらしく清々しいことこの上ないの・・・・・世の中の、すごく大切な物事の大半には、実は女の子の名前が潜ませてあって、そういうのはアイス・コーヒーに溶けたガム・シロップのように存在が不定で、透明で、どこにいるのか分からなくて、浮いたり沈んだりで、でも最後にはしっかりと甘さを感じさせてくれるんですね。


女の子に付けられた名前と言うのは、本質的に無駄がなく、全て必要なもので、僕等男の子の人生の中身をシビアに問うてくる、効率のよい呪詛なんです、きっと。





でも、僕自身の人生ののことを「まみ・まみ・まみ!」と連呼する程まだ人生が裏返ってないので、お店はスルーして、ダイエット・コークを買って、それで飲んで帰りました。