悪女礼賛

たまたま某映画祭に来ていた、嘗ての予備校の教え子が、悪女になっていました(笑)。いいぞー、いいねー。


あははははは。


悪女に会うと、僕は軽くチルアウトしちゃいます。だって、悪女と付き合うことが多いから。というか、僕は過去、本気で好きになり、付き合って、相手は引くから内心の「結婚」を打ち消すべく下唇を噛んだ日々、その日々も脆くも相手の悪女故の悲しみから「本気浮気」という結果においてのみ、僕の空想結婚は毎回破局を急かされているのです。



僕は基本的に、浮気を悪だとは思いません。



「悪女」は、愛称で、敬愛の印でもあります。決して卑下しているわけではありません。そして、僕は彼女たちに対して、かなりの免疫が出来ていると自負しています。だから、彼女たちが如何に気侭に「女」を見せようとも、それがある圧倒的な距離から眺めることによって、非常に美しく“だらしなさ”を洗練したものだと認知しているから、うーん、それは頭の中では例えば、インディアンがだーれもおらんひたすらだだっ広い草原で、紫色の煙を炊きながらぽっつりハッパを燻らせている風景のような、文字通り「孤独」で、圧倒的孤独です。全ての葉緑体が揮発したように緑の浅い大草原で、まっすぐに一本だけ立つ、今にも消えそうなタバコの火と同じくらい、孤独。殆どそれは永遠で、たまーに通りかかった野犬が気付くけど、その野犬すらそれに吠え掛けようとしないのは、「あれには、食べる価値が見出すことができないワン」☆なんつって。



あー、やっぱ綺麗なのよ。それは。





悪女(笑・いい加減可哀相かな、この言い方)は、つまり親友同士のクロッシング、つまりリアルな「H2」といった展開を、僕に聞かせてくれました。花火大会やら、受験やら、もう、いかにもというイベントごとに、彼女は絵に描いたような洗礼を受けているようでした。しかも、彼氏いるのに、すでに先輩!に「もっと」カッコいい人を見つけたらしく、故に僕は、次に僕とお茶する時までにその先輩!に手を出しておくよう、支持しました(笑)。それは、彼女がもっと自覚的に、ゴダールに出てくる女の子のような、キュートな女の子、本当の女の子になって欲しいがための、一つの祈りの気持ちから湧いたアドバイスであります。センパイ!!!




うまくいけば、彼女は相当な悪女になるでしょう。太鼓判。素敵。




彼女と駅で別れて、元の野犬に戻った僕は、肉が食べたくてたまらない!という感じでもなく、トマトを買って返りました。野菜でも、赤い色だけは、肉欲ですよね。