女は女である

ゴダールの映画を朝一で見ました。何故かとても見たくなったのです。ヨーグルトとコーヒー牛乳を用意して、DVDセットします。とてもいい朝。


「女は女である」


見ると、前の彼女を思い出してへこむかなぁと思っていたけど、露骨にアンナ・カリーナが二股をかけているのが、返って清清しかったです。気持ち良さそうだよね、隠す浮気じゃなくて、見せる二股。それは、多分、少々オシャレだ。

おやすみするシーンで、アンナ・カリーナが、ベッド脇のスタンドライトを、まるで雨傘のように抱えて、本棚を見繕っているのが、すんげい可愛かったです。アイデアもキュートだ。聞けば、この映画の撮影のとき、アンナ・カリーナゴダールは恋仲だったらしいです。通りで幸せそうなアイデアだなー。恋をしたら、カーテンがスカートになったり、スプーンがヘアピンになったりするんだろうね。あらゆるアイテムが、女の子に隷属します。服従って、幸せ。それは、前の彼女から教えてもらったことです。






元気にしてるかな。






夕方。仕事をして、その足でイメージフォーラム・フェスティバルの授賞式に参加しました。式後、以前からお話したかった「つぶつぶの日々」というドキュメンタリーを作られた大木さんとお茶しました。

「つぶつぶの日々」は、納豆工場で働く女の子が日々の生活の意味を失いかけているところから始まって、悩みを晴らそうと久しぶりにあった友達は風俗嬢になっていたり、納豆工場で溜めたお金で個人飛行機をチャーターしたりしていく、すごい作品。とにかく傑作。だし、僕が女の子だったら、間違いなく泣いちゃったりして、ケーキをホール食いしちゃいそうです、衝撃で(笑・笑い事じゃないけど、笑ってしまう、チャップリンのような笑い)。



そう、チャップリンが女の子になって、納豆工場で働いているような世界観だと思ったんです。



話をして、やはりその後が気になっていたのですが、風俗をやってる友達の方は現在子宮に難病を患いながら、しかしそっちのお仕事をやめれずにいるそうです。大木さん自身は未だ納豆工場を継続して勤めていて、そういう話を聞くと、普通に生きてるつもりが、普通に生きられないし、働かなくても餓死はしない日常が、僕の足元にも続いていて、それに足をとられて病気になって入院した同級生もいる、人肌の硬水を延々飲みつづけさせられているような、ああ、それって、案外気持ちいい。だから、仕事はほんとはしなくてもいいんだと思う。僕には仕事してない友達多いから(苦笑)。彼等彼女等は大好きだけどね。生きるのがしんどそうにも見えます。日々は、一番怖いものです。



とか、大木さんの作品には、色々考えさせられました。

大木さんは制作を続けているそうです。そして「多分、次の作品はつまらなくなると思う。その次も多分、面白くないものになるかな。そしたら、その次ぐらいがいい作品になるかもしれないね。」と言いました。

ドキっとしました。その発言には、ものつくりを一生やっていく覚悟のようなものと、続けていくための、非常に重要なポイントを語ってくれたと思います。そのスタンスは、潔くて美しい。つまらなくても、一生の流れの中で、作らなきゃいけない作品があることに、僕はショックを受けました。目からウロコ。目からクジラ。



うああああああああああああああああああああああああああああ、映画、撮るぞ!