今日は会社の友達何人かを原宿案内しました。
骨董店街(人形屋佐吉など)→アート系の書籍店漁り(NATIFとか)→NEMETH(笑)のコースです。趣味だなあ。

福岡から出てきたばかりのY君は、プロデューサー志望で、しかしながら全くデザインや絵の世界に触れたことのない人だったので、今日の体験は結構印象深く残っていたようです。「あああ、こんな世界もあるんだ」←最近こういう感動がめっきり減りましたなー。


Y君、エドワード・ホッパーの描く、あの不思議と静止した孤独感にしばらく見入っていました。ちょっとかわいい(笑)。僕も上京したての頃は名前で作品を選んでたけど、彼がホッパーを選んだのは、そうではなくて、単純に彼の心がホッパーの孤独に共振したところもあると思うです。目の前で、すごくすごく純粋な絵画鑑賞が行われれいることに、僕は久々に驚きました。絵との出会いって、いつもそうありたいよね。


僕はTillmansの写真集を買いました。古いのです。Tillmansを見ていると、自動的に頭の中にJohn FaheyとArt Ensemble of Chicagoが流れ始めます。アメリカの、本当の孤独を知る人・人。
土地ごとに、孤独の質は変わります。それは、隣の町に移っても、電車で一駅のところでも。それだけ、デリケートなものなんですね。触れば逃げるし、見れば隠れる。Tillmansの写真を見てると、彼の写真はほんとに敏感に眼を逃れようとする感じがあって、それが堪らなく愛しいです。愛してる。

アメリカの孤独は、日本人にも理解できます。僕等が幾らか理解できる手段がそこにあって、それをY君はホッパーを見ることで証明してくれました。それはとてもすごいことです。彼は、彼の人生の途中で、幸運にもアメリカの孤独に出会ってしまったんです。ラッキー!だよね、ほんとに。