邪気にさらわれて

kaelshojo2006-10-15


邪気をコントロールできていない状態が、無邪気。と考えます。
もしくは、邪気が常識の範疇を超えた部分のことを、無邪気。と括ってみます。


実際、子どもは邪気の塊だと思います。

悪戯を考えるエネルギーが大人より原始的でありながら、しかしそれは熱い創意に満ち溢れています。
しかも悪戯の結果を考えないから、邪気のエネルギーは自身の着地点を知らず、ますます氾濫していきます。


子どもの腕力は弱いです。だから、邪気を表出させてもそれほど大事にはなりません。世界の均衡も変わりません。
ただ、邪気それ自体の生命力は強いです。強くて、次から次にあふれ出てきます。

そして、そこに罪も罰もないから、邪気は正義にもなります。
善も悪も境目のない、全てが一つに繋がったの世界。
そういう世界で、子どもの邪気というのは淘汰されないから、生産性も高いです。



悪戯は、クリエイティブの基本になるわけです。



自らの強力な邪気に飲み込まれた時の子どもの表情って、やっぱりおもしろいな、って思います。無限に笑顔が出てくるんです。というか、笑うことを邪気が止めさせてくれないんでしょう。
天使だと勘違いしてしまうほどの純粋な、悪魔の笑い。




カメラを子どもに向けたとき、気を抜いてほけーっとしていると、カメラごと「無」邪気にさらわれてしまいます。
今日は、そんな一枚。