皮膜カップル

電車は毎日乗ります。


電車にはカップルがいっぱい乗っているので、僕は必然的に様々なカップルを見ることになるんです。




高校生と、高校生。


おじさんと、女子高生。


ゴシック・ロリータと、パンク・少年


老人と、老人。


受験に受かった女の子と、落ちた男の子


ハワイアンシャツ野郎と、銀座の若いママ風


しゃべる男と、見つめる男。



・・・僕の視覚に、対になった色んなタイプの図像が、謙虚に飛び込んできます。しかもそれらは、毎回各駅に停車するごとに、実に機微な変化を見せてくれて、その時の僕のココロの健康状態によっては、大いに楽しませてくれるわけです。


今日の健康状態は良かったです。皮膜カップルを発見することが出来たから。



僕の座っていた席の向かいに、大学生同士くらいのカップルが、もう本当に幸せそうに手を握り合っていました。

握るというより、探る。といった印象でしょうか、お互いの手の中に見えない百万円があって、それを何とか見つけてさっさと貯金したい!って叫びが聞こえてきそうな勢い。


その二人の手の触り方が妙に必死で、一寸生っぽく、つまりは大変エロティックなのでした。満点。



薄い、たった一枚の皮を隔てた、しかし愛情としては非常に力強い、透明度の高いやりとりがなされていて、それが20歳くらいなのもあって、切なかったです。自分にリアルで。



ねチねチ、さワさワ・・・・



ネちネち、サわサわ・・・・






む、むかつく!イチャつきやがって!(中三の頃の僕的)







いやいや。25歳の僕は、もう全然むかつきません。そういうイチャイチャを見ても、今では返ってホッと癒されます。


大好きなんです、カップル見るのが。



つい、えらそうに


「幸せになれよ」


なんて、思うわけねぇだろ。俺。


とか、電車のカップル周りは、聖と邪が、性と蛇が、うねうね入り乱れます。


結局、僕は成す術もなく、


ヘッドホンから流れる、Woody Shawの地下鉄を真っ二つに切り裂くようなトランペットを聴きながら(繋がれた愛の手も真っ二つ)、


ゆっくりと


ゆっくりと


地獄に


落ちていきます。



地獄ってば、涼しー☆