桃の痛み

実家から沢山送られてきてですね。
おにぎりより小さめの、ほんとによーく熟れていて、それで一晩置いただけで、薄皮からじわぁーっ、と果汁が染み出ていたのでした。


暑さで果汁が毒になる前に。と、思って朝ごはんに五個も食べたら、午前中お腹がチクチクしていました。酸やね。


お腹が痛い。という状態ではなくて、お腹に痛みを取り入れた、という状態です。自ら招き入れた腹痛。記憶を揺り起こすツールとしての、腹痛。



ちくり、と音を立てる度に、田舎の家周りの青い風景とか、近くの海の波音、初めて拾ったくちくちのH本とか、その本に付いていた砂浜のさらさらした砂、消えそうな透明な性欲は今でも続いていて、そういった一切がお腹の真ん中で、ぷちぷち、と出来損ないの映画みたいに像を結びます。そういう心象が、たどたどしく一つの物語を形作ろうとする様は、結構自己の内面活動でも幼稚なもので、感動的な瞬間が多いです。



一生懸命なんですね。



子供が、お父さんやお母さんの似顔絵を描くときの、なかなか似せることが出来なくてモジモジしてしまう、あの独特のストレスと、初めての哲学。ソフィア。小さな、最初のリビドーの始まりで、出来れば世界中の子供の、正にその瞬間一つ一つに、丁寧に立ち会いたいです。そういう映画を作ってみたいなぁ。



だから、それがたとえどんなに耐え難い痛みだったとしても、僕は耐えて見せるでしょう。そういう痛みを、生きてる内に出来るだけいっぱい受け入れて、みたいですね。最後には、もうボロボロ(感動)


ナチュラルの、パンチドランカー。







ああ、ノスタルジィって、腹痛を伴うものなんだ!