霧の運動会

今日は。
友達と、友達の友達と、三人で公園でギター弾いたり笛を吹いたりしたのでした。久々に学生のような面持ちになって、薄いのか濃いのか分からない井の頭公園の空気をひっきりなしに吸っていたのです。酔うわぁ。緩くて、いつまでも夕闇が続く感じ。


その友達と、友達の友達が自費出版の漫画を出すというので、1P余っているから描かないか?ということになりました。いい。空気の密度が上がったよ。





で、1P。どうしよう。すぐ思いついたのが、「霧の運動会」です。

運動会だけど、すごく濃い霧が立ち込めていて、牛乳を薄めた水みたいに、すんごい靄々の天気なんです。

100m走するにもゴールのラインが見えなくて、綱引きするけど相手が見えなくて、球入れするにもカゴが見えなくて、リレーでバトンを渡そうにも次の走者が見つかりません。とか、そんな具合に、霧の運動会ではあらゆる競技が曖昧だし、決着がつかないし、終わりも見当たりません。永遠に運動会が続くかもしれないし、そういうのはまるで彼岸だなぁ、と思いました。でも暗い話にはしたくないです。



C組の女の子が主人公だったとしてですね。
綱引きの相手のA組が霧で見えない。それでしばらくして靄がうっすら晴れると、それはA組の生徒じゃなくて、ゴリラだったりするんです。動物園のような校庭。実際そうじゃないけど、結局ゴリラに見えたのはゴリラみたいないじめっ子だったりするのだけど、霧の中では「ゴリラみたいな小学生」は「ゴリラ」に成れる力を、与えてくれると思うのです。

霧によって曖昧にされる、想像力の領域。そのリアリティに対する侵食の具合で遊べないかなー、と朧げに考えたりしてます。うまくいかないかも。それも含めて、僕は実に5年ぶりくらいに漫画を描こうとしています。すげー。





うーん。奇跡だ。今僕は、霧の中?

僕は小さい頃、100m走のスタート・ピストルが心から怖かったのでした。あれは、真昼に聞く、天使の悲鳴みたいなものですもの。一体何が始まるんでしょう、悲鳴を合図に。地獄?思い出すと、少し背中がゾクゾクします。幸福の感覚で、神経が麻痺しそうだ(笑)

そしたら、何が幸せか分からなくなって、本当に永遠が訪れるのです。ふふふ。