田んぼを焼く
実は昨日まで田んぼを焼いていました。
あのう、放火じゃないですよー(笑)
農業に関わる人なら、“畔焼き”と云えば分かるでしょうか。
つまりは、新しく田んぼに苗を植えるにあたって、枯れ草を(害虫共々)家庭用バーナーで焼き払う、「清め」の作業です。
冬の田んぼでひっそり生活していた虫には文字通りの「粛清」ですが、農家にとっては単純に「作業」で、ああ農業というのはよく見れば苗作りから収穫まで、その過程一つ一つに何らかしらの犠牲と誕生を伴ってるものなんだ、常に背反のある生業なんだ、と、非常に厳かな気分になったりします。
さらに、そういうあらゆる作業に宿る背反に対して農家の人は底抜けに無防備だから(自然の促す背反そのものが生活の部分故に)、そういう光景を目の前にすると、僕は一遍で泣きそうになるのです。無垢です、あまりに。
きれいなんですよ、すっごく。
焼きます焼きます、お婆ちゃんが。
見守ります見守ります、お爺ちゃんが。
町の農家が一斉にこの“畔焼き”を開始します。
町中で、一斉に火があがります。
大勢であらゆる田んぼを焼く画は、美しいです。
視界に映る田んぼは全て、霧のような白煙を立ち上げ、ところどころ赤い閃光を泳がせます。
小川未明の童話みたいです。
ただ、童話と違うのは、農家は現実だということです。
現実が夢を見せます。
夢はいずれ、米となります。
僕は出来れば、まだこういう風景が残っている内に写真に撮り収めて、その写真にアニメーションを描き足すことで、民俗学の資料のアーカイブのような、しかし同時に極めて個人的な映像作品を作っていけないものかな・・・と考えたりします。
一年に一回しかない、土地々々の行事を、アニメーションで“記録”していくのです。
純粋に米を食うための、アニメーションですね(笑・江戸時代の武士の給料みたい)